2011年12月24日土曜日

無事退院いたしました by 篠沢礼子

主人はCTの検査の結果も血液検査の結果も異常なく、
呼吸器の設定が合わなくなっていただけなので、
設定を変えて無事20日(火)に
退院することが出来ました。

11月と12月の2ヶ月近く何となく不安に過ごしていたので、
いろいろの機能が衰えてしまったのがすごく残念です。
でももう今までの様にCO2が溜まる心配はないと言うことなので
ホッとしています。
私も2ヶ月近く不安だったので少しホッとしています。

ただ本人は元気で21日(水)に
「明るいはみ出し」のゲラが届くと
もう毎日一生懸命チェックを入れています。

来年には本になりますので是非とご覧下さいませ。

2011年12月11日日曜日

その後の主人について  by篠沢礼子

主人はやっと7日(水)にICUから出ることが出来ました。

でもまだCO2の減り方が遅いのでCTの検査をすると言われてしまい
またガックリしてしまいました。
何か原因になるものがあるかどうか?、

でもすべて調べていただく事は良いこと思うことにしました。
「8日は開戦の日で2年生だった」とか、
「唇が噛んで痛い」と先生に言うと
先生はどうして良いか解らず困っていると、
「消毒」と書いたり、少しずつ元気になって
来ているのではと思っています。

9日にはCO2が減ってきているとのことなので少しホットしています。
7日は「着替えたいの?」と話しかけても反応が鈍いので心配でした。

もともと肺活量が少なかったので「肺が弱いのか?」と考えたりします。
まだ自分の呼吸器になっていないので先は長いのかなと思います。
早く元気な主人になってもらいたいものです。

ともかく心臓とか肺炎でないだけ良いと思うことにしています。
早くいいご報告が出来るようにと願っています。

2011年12月3日土曜日

主人が緊急入院致しました。 by篠沢礼子

主人は11月から何か?スッキリしない状態が

続いておりました。
酸素が90~92、高くて93という値が続いていました。
ここのところ仰向けに寝ると苦しいと言って
斜めに寝ていました。
呼吸器の設定を変える時期に来ているのだと軽く考えて
来週の金曜日に病院に予約を入れました。

ところが昨日、ナースさんに「心不全の症状だ」と
言われたのでビックリしてしまいました。
呼吸器の設定の問題だけと考えていたので・・・。
心臓など考えてもいませんでした。

そこで昨日緊急入院致しました。
ところが心臓でなく、やはり呼吸器の設定が合わなくなり
二酸化炭素が70%になっていたとのことでした。
二酸化炭素を吐けなくなっていて苦しかったのでした。
酸素と二酸化炭素の問題でした。

本当に難しい病気と思いました。
私は呼吸器を着けていれば、
二酸化炭素は普通に吐けているものと思っていました。
そうでないとはじめて知り、己の無知に悔しくなりました。

でも肺も心臓も異常なく、いろいろ検査しても今のところ
異常がないということなので、良いと思わなければと
思っております。

昨日主人は唯々疲れて寝ていましたが、
今日は「2年前とおなじ病室か?」とか
「桜が紅葉してる」とか、「10回も血を採られた」とか筆談もし、
2時間くらい椅子に座って
リハビリをして戴いたのでホットしました。

救急車の中で酸素が63に下がったときは
もう主人は助からないのではないか?
と本当に怖くなりました。
先生に連絡が取れ、酸素を入れると98などと値が上がると
主人の顔色が赤みを帯びてきてホッとしました。
次は「私が解る?」とか聞いて、頭は大丈夫かと心配になりました。

それにしても酸素だけでなく二酸化炭素の問題とは
本当にビックリしました。
本当に一般的な病気でないと大変なんだと実感しました。



2011年11月20日日曜日

テレビを見て下さった皆様へ by 篠沢礼子

17日の「生と死を見つめて SP」を見て下さいまして

本当に有り難う御座いました。

皆様からとても良かったと ブログ、メール、お電話やお手紙など戴き
心から厚くお礼申し上げます。

私自身見ながら泣いてしまいました。
泣いてしまったと言って下さる方が沢山いてくださり、
本当に感激です。

主人も「とても良かった。」と言っております。
そして「長山藍子さんに感謝」と言っております。

長山藍子さんのナレーションが親身な心が伝わって来て素晴らしかったと
皆様に言って戴きました。
長山藍子さんは主人の良さをよく分かって下さっている方です。

主人がこの病気になった年に三越劇場の舞台に伺ったとき
「筋肉の病気になったの」と私が言うと
「筋萎縮性側索硬化症」と正式な病名をおっしゃったので
本当にびっくりしました。
以前ALSのドラマで奥さん役をやったことがあるので
「病気のことはよく知っている」との事でした。

そのとき「これからが大変よ。」とも言われました。
そして楽屋の戸棚の上にあった上等のバナナを5,6本とって
「これ食べられるかしら?」と手渡してくださいました。

あまり親切にして戴いて涙が出てしまいました。
ご自身も舞台の合間なのに、主人の事を心配してくださって
本当に親切な方なんだな・・・・・と感激しました。

主人の自伝的小説
「明るいはみ出し」でぜひとも妻礼子役を演じて戴きたいと思います。

実現します様に皆様の応援よろしくお願い申し上げます。



2011年11月12日土曜日

11月17日夜7時からのTBS「スパモク!」に主人が出演します。 by 篠沢礼子

11/17(木)夜7時からTBSスパモク!にて
映画「アントキノイノチ」の原作者さだまさしさん、
主演 岡田將生さん&榮倉奈々さん出演
MC:名倉潤さんの番組

「孤独死ドキュメント・・・生と死を見つめてSP」のコーナーに
主人が出演します。

ぜひ見て下さい。



2011年11月9日水曜日

11月2日の講演会のこと by 篠沢礼子

11月2日の主人の声の再生による津田ホールでの講演会は、
前日に主人が発熱した為、本当に声の再生での講演会となりました。

主人はスカイプでの参加となりました。
半分は声の再生、そしてのこり半分は私が原稿を読みながら、
合間に主人から聞いたエピソードを私が喋るという形にさせて戴きました。


本当に医学研の中山様はじめ皆様方、
都立神経病院の本間様、ウオンツの岩木様そして
参加下さった皆々様に心から感謝致しております。

声の再生の大切さを実感した講演会でした。
声の再生がなければ講演会は成りたたなかったと思います。
本当に有り難いことです。
主人は微熱が続いたので7日(月)に東大病院で精密検査をして戴きました。
結果は水分不足とのことでした。

ここのところ主人は以前より飲み込みがしにくくなっていたので、
水分が不足してしまったようです。
ここのところの温度差で風邪も引いたかなと思いますが、
何でもなくてよかったです。



2011年10月31日月曜日

声の再生の講演会のこと by 篠沢礼子

声の再生の事ですが、
2月頃からはじめて本間さん、岩木さんのお二人が
主人の過去のテレビの録画から、主人の声を
辞書を作るようにとって下さいました。

すごく労力のいる作業です。
その過去のしゃべりの言葉を
今の主人の原稿に当てはめて作って行くのです。


前もって声を失うのを知っていれば、
自分の声を前もって録音しておけば
声の再生が簡単にできるそうです。
主人の場合は、声を失う事を知らなかったので
大変になってしまいました。
前もって声を貯金のようにとっておく必要性を
知って戴くための講演会と思っています。
ぜひいらして下さいませ。

2011年10月17日月曜日

津田ホールでの講演のこと by 篠沢礼子

「声の再生の講演」ですが
埼玉のALS協会支部で六月に講演したとき、
声の再生と、主人の原稿を読みながら、
妻の私が主人から聞いたエピソードをしゃべるという講演会を
いたしました。

それがとても良かったというので、今回も私のおしゃべりも
させていただく事になっております。

主人は病気になって弱音を言わない人なので、わたくしが話すしか
ないので私が闘病については、話させて戴こうと思います。

よろしくお願い申し上げます。

2011年10月15日土曜日

津田ホールで「声の再生」を取り入れた講演を行います。 by 篠沢秀夫

財団法人東京都医学総合研究所主催の都民講座で、
私の「声の再現」を交えて講演いたします。
いらしていただければ幸いです。

『神経難病の方の「伝えるこころ」をつなぐ知恵と技①』

日時:平成23年11月2日(水)午後2時〜3時半 (開場午後1時)

会場:津田ホール
入場無料
事前申し込み制


詳しくはこちらをご覧下さい。
http://www.shinozawa-kyoju.com/_userdata/20111102tominkoza.pdf

2011年9月15日木曜日

今年も軽井沢に行けました by 篠沢秀夫

今年も軽井沢の別荘へ行けました。

発病以来三夏目です。
去年はまだ、自動車を出て、支えられて段々をあがって
家に入り寝室まで歩きましたが、
今年は車椅子に乗り、何人もに押され引っ張られて
家の向こう側へ回り、テラスから入り、寝室のベッド脇まで車椅子です。


おお、一週間ほど隣り町の御代田の病院にいてから
三週間ほど別荘にいて訪問看護を受けましたが、
その間、何度もマスコミの取材がありました。
親切な人たちで、ADは介護士のように私の世話をしてくれます。

帰京の前日、八月二十九日、娘の運転の車に車椅子を積んで、
碓氷峠の見晴台に行ったときもマスコミの撮影付きでした。

懐かしい場所です。
子供たちは三歳から私が軽井沢銀座から山道を歩いて上り、
上でバスやタクシーで来た家内や私の母と合流したのでした。
今も東京の家のピアノの上に飾ってある娘、茜ちゃんの五歳ころの写真に手を引いている私の隣は、学生時代の秋篠宮様とその学友です。
私と宮様は馬術仲間でした。
この見晴台でばったり会ったのでした。

帰京後、九月十二日、二年振りに東大病院に行き、
外来で久し振りにT先生に診察して頂きました。
名札で先生の下の名前を確認、楽しく筆談しました。

歩きが弱った以外には大きな悪化変化は無しでした。
頑張ります。