2011年5月28日土曜日

児玉清様の追悼文のこと by 篠沢礼子

このたび月刊文芸春秋に
児玉清様の追悼文を主人が書かせて戴きました。

15枚ということで、さすがの私も心配しましたが
主人がお引き受けすると言うのでお受けしました。

男の方の友達は学生時代からずっと続くというのは
珍しいとのことです。
仕事のことで違ってくるそうです。
途中途絶えたりするそうです。
長く続いたのも児玉様のお人柄のお陰と思っています。

心配で普段言わないのですが「何枚かけた?」と
つい聞いてしまいました。
無事書き上がりました。
発売は6月10日とのことです。
ご覧戴きたく思います。

2011年5月22日日曜日

児玉清様のお通夜に伺わせていただきました by 篠沢礼子

児玉清様のお通夜に伺わせて戴きました。

遺影はとてもお元気そうで、
やさしく笑っていらっしゃるとてもいいお写真でした。
何ですかお写真を見ると涙が出てしまいました。

以前から主人は学者のせいか浮き世離れした性格ですが、
児玉様はとても気遣い下さるご立派な方で
何かとお世話戴いておりました。
病気をしてからは主人の車いすを押して戴いたり、
主人の本の「命尽くるとも」の表紙の写真の撮影をお願いしたり、
またその本のためのテレビ撮影の為に自宅に来て戴いたり、
病気をいいことに甘えさせて戴いてばかりおりました。

病の床にありながら、本の番組スタッフの方に、
「先生の本を何とかしてあげて欲しい」と
おっしゃってくださっていらしたと伺いました。
ご自身が病の床に伏せても、最後まで主人をお気遣いいただき、
なんとご親切なことでしょう。
感激して涙してしまいました。

お奥様に「ご迷惑ばかりおかけして申し分け御座いません。」
とご挨拶させていただきましたら
「そんなことございません。」とおっしやって戴きました。
さぞご看病は大変だったと思います。
本当にご立派で優しいお奥様でいらっしやいます。
ご家族を残して逝かれることは
さぞご無念であったと思い心が痛みます。

主人は手が不自由になっておりますが、最後のお焼香も何とか出来ました。
最後のお別れが出来て本当に良かったです。

ご冥福を心からお祈り申し上げます。

2011年5月18日水曜日

親友、タマチャンこと児玉清君の訃報  

あんまり悲しくて、悲しいと思うと悲しくなるので

悲しまないようにしています。

 
心からご冥福をお祈りしています。
 
 
篠沢秀夫

2011年5月6日金曜日

日本ALS協会埼玉県支部総会での講演を行います by 篠沢秀夫

六月十八日の講演は、私が書いた文を家内礼子が読み上げます。
長山藍子さんが礼子を演じて、演劇上演して下さるとのことで、
その台本の元にする夫婦自伝物語「明るい はみ出し」を
私は仕上げ、今刊行準備中です。
明るい はみ出しの礼子は、読み上げるだけでなく、
付け加えの感想を述べます。笑い。
文は事前に用意するか、その場で少しづつ手書きするか、
これから決めます。 

2011年5月2日月曜日

平成2年3月11日仙台の「亀杉そば」さんで書いた色紙 by 篠沢秀夫






平成8年に姪が仙台に行った際
偶然見つけて撮ってきた写真です。


日付を見ると3月11日!


なんたる偶然!











おお、仙台へ行ったのは、僅か数回です。
三月とは何か。
今、娘茜に二階の本棚から
昔の日誌を探しに行ってもらっています。

新聞社の講演は軽井沢に戻ったから夏でした。
家内同伴の学会では遊覧船に乗ったので秋か。
教え子女性の結婚式は
平成八年の第一回フランス地方旅行ツアーの後です。

ワッ、日誌がありました。別の講演です。
平成二年三月十一日日曜日には
「晴 暖 仙台講演 日帰り 富谷町 とみや」 
とだけ書いてありました。
そのとき、そのお蕎麦屋「亀杉そば」さんに寄ったのですね。

そんなに長く色紙を飾って下さるとは感激です。
当時五十六歳でした。