2011年6月24日金曜日

ALS協会埼玉支部交流会での講演のこと by 篠沢秀夫

六月十八日(土)、さいたま市大宮のソニックシティホールで、

ALS病の協会の埼玉支部の交流会で、
講演をさせて頂きました。

今ある姿を楽しむ古代の心を把握するに至った
来歴を語りました。

事前の原稿を三分の一ほど、
復元音声と共にスクリーンに
文字で示して下さりました。
残りは家内が読み上げ
「難しいこと言ったらダメよ」と
家内に釘を刺されたということも家内が読上げ、
色々補足していました。

補足には皆様の笑いがありました。
楽しい講演会でした。
 
関連ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/takekos1/diary/201106190000/

2011年6月17日金曜日

私への応援メッセージを集めた本「奇跡を願って」の贈呈式のこと by 篠沢秀夫



6月13日(月)午後、私篠沢秀夫に向けた闘病応援メッセージを二百人以上から集めた本「奇跡を願って」(アートコミュニケーション 6月6日刊行)の私への贈呈式パーティが、
ホテル・ニューオオタニで行われました。




クイズダービー
以来のお仲間
竹下景子さんが私に本を、












長山藍子さんが花束をお渡し下さいました。




何と、その少し前六月四日に私が家族と十六人のお仲間とうかがった野田市の
上花輪歴史館の高梨家三十代目当主の
兵左衛門氏(私と同年キッコーマン醤油社役員)と節子夫人が参加して下さいました。

また、私よりずっと年長の横浜の崎陽軒会長の野並豊氏も。
そしてこれも私と同年の元農林水産大臣島村宜伸氏も。
それから永谷園の永谷宗次夫人京子様も。
日比谷高校同級、東大名誉教授井村順一氏も。
さらには四日に上花輪に来ていたフランス地方旅行ツアーの
お仲間深谷純子さんと浅香立子さんがここへも来てくださいました。

カメラマンも大勢いて、その夕方のテレビニュースに出ていたそうです。
景子ちゃんが私のほっぺにチュッとしたシーンは出たのでしょうか。

楽しい会でした。

2011年6月16日木曜日

教授への闘病応援メッセージを集めた本が出版されました by 管理人

篠沢秀夫教授のALS治病を願って闘病応援メッセージ!
「奇跡を願って」
監修:篠沢礼子

篠沢教授サポーターズ編

㈱アートコミュニケーションより
2011年6月6日オンライン書店bk1限定発売

教育界、芸能界、芸術界、文学界などあらゆる分野の方々からの
教授への応援メッセージが掲載されています。

詳細は㈱アートコミュニケーション
http://www.artcommunication.jp/magazine/message.html

オンライン書店bk1
http://www.bk1.jp/product/03416543?&partnerid=02vc01


2011年6月13日月曜日

六月四回目の外出、学習院大学同窓会のこと by 篠沢秀夫

六月の四回目外出は、二十六日(日)午後一時半から四時までの
学習院大学の同窓会桜友会(創立九十周年)
文学部同窓会(創立三周年)の総会です。
終わりの一時間は、懇親茶話会。
会長として参加します。
挨拶は、声の録音を元に口調を再生する技術の研究者が、
私の原稿の私の声での読上げを用意してくださってあります。
頑張ります。 







〆切りは過ぎていますが
受け付けていますので
ご都合の付く方はお問い合わせ下さい
info@shinozawa-kyoju.com





2011年6月10日金曜日

千葉の上花輪歴史館へ行ってきました by 篠沢秀夫

この六月には外出予定五回で、張り切っております。


もう行って来たのは、六月四日土曜の千葉県野田市の上花輪歴史館です。

柏餅祭り。平成十二年に知って以来、
年に何度もお仲間と通っていた江戸時代からの
お屋敷と三千坪の大庭園です。

当時からのこの上花輪地区の名主、高梨家は
醤油作りを始め、徳川将軍家に納めていました。
今はキッコーマン醤油会社です。
高梨家三十代目御当主の兵左衛門氏は、
私と同じ昭和八年生まれ。
私は六月六日、氏は六月二十五日です。
節子夫人は学芸員資格を取り、
庭園内に建てた展示棟に高梨家の歴史品を展示しています。

季節によって行事があるのと同じに
展示品も変るのがしっかりしています。
私がこの病気になる少し前から、
瓦の修理や木々の手入れのために閉館になっていたのが、今年から再開です。
久し振りにここへ来られて、大自然の中にいられて嬉しかったです。
車椅子の私のために、砂利道に次々とベニヤ板を敷いて進めて頂きました。



そして皆で町の中へ移動、高梨家の地所でやっている大きなイタリア料理店コメスタ(お元気?)へ。いつもここで私はマスターと声を合わせて「オオ ソレ ミーオ」とイタリア語で歌いました。お仲間は十六人。

それに私たち夫婦と高梨夫妻、娘茜夫婦と孫娘湊、ヘルパーさん二人と
介護タクシーのドライバーと十人。
計二十六人で別室を埋めて
楽しく会食(私はスープなどだけ)。


マスターは、六月生まれの高梨氏と私と娘の夫大輔君のために、
イタリア語でハッピーバースデイを歌ってくれました。









                  
自宅発進午後一時半、帰宅九時半でした。

外出の自信がつきました。